2007年9月 健康に過ごすの為の検査について

現代の検査は一昔前に比べ、飛躍的に進歩しています。
人間のあらゆる部分やあらゆる病気がわかるようになりました。
検査の進歩は機械の進歩でもあります。機械は人間が一から作り出したものです。それゆえ、その構造やメカニズムはすべて人間が把握しています。それゆえ、研究すればするほど機械は飛躍的に進歩するのです。それゆえ、いままでわからなかった、病気やその兆候が把握できるようになりました。
ところが、検査により判明した病気が治せない場合が増えてきています。
これは、なぜでしょう?
人間は機械ではありません。残念ながら完全な人造人間も作られていません。
人間には、まだわからないことが多すぎるのです。
現代医療も機械が有効な部分での治療(手術や放射線など)は飛躍的に進歩しました。しかし、薬物療法はどうでしょう。
現代の薬品は、全てが解明されている機械と違って、開発はあくまで、100%完全ではない解明されている事に、推論を積み重ねてゆく方法しかありません。つまり、手探りの状態に近いのです。
検査機器の発達に、治療法が追いつかないのが現状ではないでしょうか。
検査によりわかった病気の治療法がない場合、はたして検査したことが本当にその人の為になるのかどうか、これは非常に疑問です。
漢方の古書に、「全ての病気は意識、無意識のストレスにより起こる。」と書かれています。
某新聞のコラムに、ある精神科の大家が体調の悪くなり弟子に病院に検査を受けに行くよう進められたそうです。そのとき大家の先生は「なに、ほおっておけば、いつか治るさ。」と言って行かなかったそうです。ところが、一向に体調は良くならず、やがて歩くのもまま無くなってきたそうです。弟子が見かねて今度こそ病院に行ってくださいとお願いすると、大家先生は「なに、ほおっておけば、いつか死ぬさ。」と答えたそうです。この大家の先生を愚な人と見るか、すごい人と見るか、皆さんは、どう考えられるでしょうか。