2018/07/17
■第五話:徹底した正確な人体解剖学と西洋医学の復興■
西暦200年頃からのガレヌスの学説から、その後約1500年近くも停滞した西洋医学の復興は、やはり人体解剖から始まりました。
14世紀から15世紀にかけてイタリアで始まったルネッサンスは、やがて医学にも影響を及ぼし、16世紀にはいると人体解剖の天才ヴェサリウスが登場します。
ヴェサリウスは代々、学者や王家の待医で、幼少の頃から自宅の裏に広がる森の丘にある絞首刑台で受刑者が朽ち果てていく様子などを日常的に見ていたためか、思春期の頃から動物の解体に異常な興味を抱き、身の回りのあらゆる生き物を手当たり次第に解剖します。
そして解剖の腕を上げて医学生となったヴェサリウスは、人体解剖においてもすぐに腕を認められ解剖実習の助手となり、更に大学の解剖の実習では飽き足らず、夜な夜な墓場を掘り返し、屍肉と腐臭にまみれながら嬉々として解剖に明け暮れ研究に没頭し、若干23歳にして名門パドヴァ大学の外科学と解剖学の教授に就任しました。
そして、1543年ついに当時の医学界の常識を根底から覆す精密な解剖学書「ファブリカ(人体構造論7巻)」を発表します。この大解剖学者ヴェザリウスの書物は、それまで金科玉条とされてきた西暦200年頃からのガレヌスの学説を打ち砕き、西洋医学の大革新の火ぶたを切ったのです。
西洋医学は、その後も顕微鏡の発明など、目に見えるものを忠実に観察、考証し、人体をバラバラにして分析(物事をいくつかの要素に分け、その要素、成分、構成などを細かい点まで調べる事)し、病気に対抗していく科学的手法により発展して行きます。
また、外科的解剖を基礎に置く西洋医学は、特に戦争時の負傷者の治療に大変有効で、近代国家が多くの戦争を経験する度に科学技術と共に発展し、日本でも富国強兵を国是とした明治時代に国の正式な医療となり、多くの検査機器の登場も進み現代医学の中心となり、不動の地位を確立します。
それでは、なぜこの科学万能の時代にも、解剖などをあまり重要視しない、ある意味科学的でない理論に基づく使用法が必須な漢方が利用されるのでしょうか?
続く・・・・。